「ヨコハマ文芸」感想と質問



カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


19件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[19] ハマブンカフェで

投稿者: 植竹 投稿日:2020年10月22日(木)11時57分32秒 221x114x28x177.ap221.ftth.ucom.ne.jp  通報   返信・引用

香川さん、仰るとおりで。ここに留まっていると、本来の掲示板の趣旨から遠くなりますからね。
「文学と差別」はいつか、ハマブンカフェで話合ってみたいとお思います。




[18] 植竹さん

投稿者: かがわ 投稿日:2020年10月21日(水)17時18分26秒 fp76f0c727.knge218.ap.nuro.jp  通報   返信・引用   編集済

「人を傷つける芸術形式」じっくりと拝読しました。
「文学における差別表現」は、論じ始めたらきりがない。けれど、文章を書く人は、心してきちんと向き合わねばならない、逃げてはいけない問題です。

この掲示板『「ヨコハマ文芸」感想と質問』で差別問題で、ずいぶんと引っ張ってしまったので、続きは「よもやま話」へ移行するか、また機会を設けて話す感じでしょうか。
(コロナ禍じゃなかったら、それこそみんなでどっかで飲みながら、こういう話題で話したいですね)

『「ヨコハマ文芸」感想と質問』への投書をためらっていらっしゃる方、どうぞ感想や質問の書き込みを続けてください。_〆(゚▽゚*) お邪魔しました。



[17] 文学における差別表現

投稿者: 植竹 投稿日:2020年10月20日(火)20時10分0秒 221x114x28x177.ap221.ftth.ucom.ne.jp  通報   返信・引用

香川さんが以前から文学における差別表現に強い関心を持っておられたことに感激しました。私は新聞社に入社して最初の勤務地が徳島、次いで神戸と、いずれも被差別部落が多い地区だったので、部落差別についてはいつも緊張感をもっていました。
数年前、前に所属していた文芸団体の会報にこんな文書を載せたことがあります。文書を添付するにはどうしたらいいか分からないので、ご参考までに下に貼り付けます。
================================================
 人を傷つける芸術形式
                          植竹伸太郎

「銀行の中では階級制度が幅を利かせていた。士農工商に喩えるなら、東大、一橋、慶応卒の男性が士、その他の大学卒の男性が農、大卒で総合職を選んだ女性が工、その他の行員は商。私たちパートは穢多非人である」
 私は、講師をしているエッセイ教室でこの文章を読んだとき、思わずのけぞってしまった。筆者は都内に住む六〇歳代の主婦で、四〇代初めころに銀行でパートとして働いたときの体験を書いていた。
 言うまでもなく「穢多非人」というのは中世初めごろから、賤業に就いている人々を指す呼称になり、江戸時代になると身分制度の最下層に置かれ、住む地域も限定された。明治になって法律上は平等になりこの呼称もなくなったが、代々特定の地域に住む人々として特殊視され、今日でも就職や結婚で陰湿な差別が続いている。それだけに、現に差別され、あるいは差別に脅えて暮らしている人々が、死語となったはずのこの言葉を聞くと身がすくむ思いがするだろうことは、容易に想像できる。
 筒井康隆は例の「断筆宣言」に絡んで、「かつて士農工商犬SF作家と表現して部落解放同盟に糾弾された」と発言、日本文壇の中でSF作家は差別されていると自虐的に言ったまでで、部落差別を揶揄するつもりはなかったと釈明した。先の主婦は都心の生まれ育ちで、一般的に関東は部落差別の意識が低いと言われるから、この言葉の残酷さには思い及ばなかったのかもしれない。だが筒井は大阪の生まれ育ちで、子どものころから常に「部落」を意識してきたはずである。そんな釈明が通ったのだろうか。
 筒井が一九九三年に断筆宣言をしたのは、角川書店発行の高校教科書に収録された『無人警察』の中で、てんかん患者は交通事故を起こすかもしれない危険な存在とし、日本てんかん協会から抗議を受けたのがきっかけだった。彼は「小説は、作家がそれをひとつ書くたびに必ず誰かを傷つけているという芸術形式だ」と言い放ったが、私は単に、この教科書を読んだてんかん患者の高校生が、いつもロボット警官に脳波を計測されているのかと不安に思ったり、彼が教室でいじめに遭ったりするかもしれないなどとは、想像すらしなかっただけではないかと思う。
 だがこの事件に比べれば、昨年末に起きた「週刊朝日」による橋下徹大阪市長キャンペーン事件は、まったく質の違うものだった。同誌は佐野眞一のルポという形で橋下氏が被差別部落出身であることを暴き、氏が責任を負いようがない出自を元に人格や政治手法を攻撃した。そうすることによって氏や氏の家族を傷つけ、さらには全国の橋下姓の人や被差別部落出身の人々への偏見をあおることになった。
 テレビで橋下氏の激しい反発を知って私は同誌を求めに近所の書店とコンビニに走ったが、すべて売り切れていた。通販で買おうと思ったが、プレミアが付いて一冊五千円近くになっていた。横浜中央図書館に足を運ぶと、すでに二十数人が貸し出しを待っていて、とうぶん戻ってこないと言われた。私はまさに同誌の思惑が的中したことを知った。そして、かつて臼井吉見が『事故のてんまつ』を書いたときのことを思いだした。
  これはノーベル賞作家川端康成が一九七二年に逗子の仕事場で自殺した背景を描いたモデル小説で、川端の死の五年後に筑摩書房の雑誌「展望」に発表された。川端がお手伝いの若い女性に異常に執着したのが自殺の原因としただけでもスキャンダラスだったが、彼が執着したのは彼女が被差別部落出身で彼もそうであったから、と匂わす記述があったため、文壇だけでなくマスコミも巻き込む大騒動になった。
 お陰で「展望」は通常四万部発行のところを二万部増刷し、川端家の抗議を受けて問題箇所を削って出版した単行本もベストセラーになった。ただしこちらは、川端家と和解する条件で絶版になったが。
 私が「週刊朝日」と『事故のてんまつ』を同質と思うのは、ともに人間の低劣な覗き趣味を利用して売り上げを伸ばそうとする卑しさを感じたからである。これはモデル小説やノンフィクションが常に向き合う課題ではあるが、この二作の特徴はそこにとどまらず、多くの日本人が心の奥底に抱いている被差別部落への偏見を巧みに利用した点である。橋下氏については「週刊朝日」発行の一年前に「週刊新潮」「週刊文春」などが同様のキャンペーンをし、氏の出自は広く話題になっていた。また、川端が被差別部落に繋がっているらしいという噂も、文壇やマスコミの間で以前から根強くあった。
 筒井は「小説は」と言ったが、小説に限らずものを書くことは、人を傷つけることから免れられない営為である。だからだろうか、少なからぬ文学者やジャーナリストが表現の自由を盾に筒井や臼井を擁護した。だが、彼らは何か勘違いしているのではないか。表現の自由とは権力から守るべき自由であって、社会の片隅で差別に脅えながら生きている人々を傷つける自由など、だれにもありはしない。
 ものを書く以上われわれは常に、自分の筆が人を傷つけるかもしれないという懼れを抱いていたい。



[16] 差別語の問題

投稿者: かがわ 投稿日:2020年10月20日(火)13時23分39秒 fp76f0c727.knge218.ap.nuro.jp  通報   返信・引用   編集済

宮原先生の、柳美里さんの裁判問題コメントに、「ああ! そうだった、そうだった!!」と、唸りました。なるほど登場人物が「差別意識を持つ人物なら、会話に差別的な言葉を使わないと、その人間を描写出来ず、差別的でない人間として描かれてしまう事に」なってしまう……。
登場人物によっては……なのですよね。会話表現問題、恐るべし。
これは、小説で差別を扱う時の大問題でした。うーーーん。
柳美里さんの『石に泳ぐ魚』の場合は、モデルが誰だかはっきりしていたので、その人が訴えたわけで、モデルにきちんと了解というかすり合わせを得てから書く、モデルがいてもいなくても、いわゆる「ことわり書き」を入れるしか小説では出来ないですよね。エッセイの場合で、書き手の言葉しとして書くのはNGですが。
先生も『誰かが触った』や「戯曲・あなたの思い出」などを執筆されるにあたって、かなりご苦労されたのではないでしょうか。 加納さん、植竹さんをきっかけに始まったこの問題を、いつか会員で話し合ってみることも(もちろん答えはでませんが)大切だと思いました。


追伸 息子さん、幼少時の「これって、お父さんの話に出てくるよね」には、笑いました。



[15] 体験と会話

投稿者: 宮原昭夫 投稿日:2020年10月20日(火)04時33分4秒 27-141-25-95.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用

加納さま、ありがとうございます。いつも「また戦中の話かよ」と呟かれているような虞を感じていますので、ほっといたします。でも戦中の話はむずかしい。息子が幼い頃、よく戦争中の話を聞かせていましたが、或るとき、テレビで関ヶ原の戦のシーンが出た来たら、息子が・「これって、お父さんの話に出てくるよね」と言ったので、ぎゃふんとして、それ以来、戦時中の話をする勇気が萎えました。体験のない世代にとっては、昭和の戦争と戦国時代のそれとは似たようなものなのではないでしょうか。

差別語の問題も、自分が「健常者の奢り」を抱いていないか、心すべきだと今更ながら反省しました。「地の文」では、作者は自分に差別意識がないかどうか充分自己検証を重ねる必要がありますね。
しかし、困っていることはあります。それは「会話」の問題です。会話とは話している人物の心理描写でもあるので、その人が座別意識を持つ人物なら、会話に差別的な言葉を使わないと、その人間を描写出来ず、座別的でない人間として描かれてしまう事になります。
柳美里の「壁に泳ぐ魚」の裁判で、作中の人物の会話の中の身障者差別的な言葉が、名誉毀損として最高裁判所で有罪になった時は、本当に困りました。それ以来、会話の中でその人物の心理が描写出来なくなってしまったからです。




[14] 加納さま

投稿者: かがわ 投稿日:2020年10月19日(月)13時49分9秒 fp76f0c727.knge218.ap.nuro.jp  通報   返信・引用   編集済

ここまで明かしていただけるとは。
ありがとうこざいました。



[13] 参加する(その二)

投稿者: 加納八郎 投稿日:2020年10月19日(月)13時19分38秒 h175-177-040-172.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用

 ハマブンの文化の香り、プンプン、私が本を贈った人たちからも、ハマブンの文化貢献は大したものだと手紙をいくつも頂いた。

1, まず、植竹氏の言われる「差別的表現」について。
「片手落ち」が差別的表現とは意識しなかった。そういえば我々は日常的にそういう表現を知らず、知らずに使っているんだろうなあ、と恐れる。
 植竹氏の言われることに反論ではないが、そういうことにあまり神経を使いすぎても如何なものかと、日頃思っていることも確かである。古い映画を見るとき、「この中に配慮すべき表現がありますが、作品のオリジナリテイを尊重して、そのまま放送します」的なテロップが流れる。見ていてどれが配慮すべき表現なのか、さっぱり分からない。
 言葉が世に出てくるときは、それなりの理由があって出て来るはずで、それを禁止とされたら、その背景の歴史的事象まで除去されないか。除去されていい事象もあるだろうが、除去せずに、その根拠を徹底して突き止めるべきこともあるに違いない。古文書の研究や歴史学の分野ではあり得る話だと思う。最近、私は友人から、江戸時代の庶民のまじないの貴重な著書をいただいた。いろんな凄い言葉が出て来る。現実主義のマスコミ用語と研究上の用語とのちがいであろうか。一言するわけであるが、でも、植竹氏のご教示は、有り難く受け取っておきたい。氏の博識を信じて。

2,香川氏のパーセントのこと。
 よく出る質問であるが、そのとき、私は「本当半分、嘘半分」と答えている。それでは香川氏は不満だろうから、もう少しいうと、最初の機上で、崎田と美佳が遭遇する場面。私が妻とのハワイ旅行からの帰りに、実際に乗務員をしている元教え子に会った。そのときワインももらった。そこまでは事実、私は彼女に交際を申し込んだことはない。彼女は結婚して現在首都圏に住んでいるはず。
 美佳が結婚してケニアに行った話。東京の教会にとてもチャーミングな見習いシスターがいて、黒人の神父を慕っていた。結婚するのではないかと噂があって、それがヒントになった。また、私は若い頃、ミッションスクールに一時務めていたことがあってそこで経験したことが基礎にある。その時の同僚等にも本を贈った。私の小説の一字一句に彼らは神経を集中して読んだと思う。吉田氏は架空のミッションスクールと書いてあったがそれでもよし。読んでもらえばいいわけである、あとは企業秘密。


「参加する」の続き・・・それは三人の代表世話人の先生へのお願い

宮原昭夫氏へ
「処女作?」、面白く読みました。もっと長く書いて欲しいと編集の仕事のとき、感想を出したら、「戦争中のことばかりで、ためらっていたけど、加納さんにそう言われて安堵した」みたいなご返事をいただいた(その時のメールを消してしまって、正確に書けないので申し訳ありません)。私は終戦のときは小学二年生。鹿児島のど田舎の学校だったので、慰問文や慰問袋のことは知らない。静岡の人に聞いてもそういうものはなかったという。首都圏の代表校ばかりだったのか。私どもは、奉安殿に最敬礼をしてから、教室に入ったことや校庭の隅に掘った防空壕に逃げ隠れしていたことばかりを覚えています。米軍兵士が墜落して死んでいる所や焼夷弾が落ちる所などは見ていない。親が見せなかった。噂には聞いていた。
 先生に、短編でいいので、ひとつ小説を書いてもらえないか、あるいは、小説を書くコツみたいなものを教えてはもらえないかと思います。

牧野薊氏へ。
 「遠い日の思い出」には、終戦後の横浜の状態、馬車道辺りのこと、画廊のこと、江見絹子さんのこと、荻野アンナさんのことがなつかしく書かれていて、遠い昔、若い日のことだから、鮮明に蘇るのだろうなあ、と想像されます。仕合わせな少女時代だったのでしょう。私が知っているのは荻野アンナさんだけで、芥川賞のとき、私も読んで、あのユーモアに圧倒された事を覚えています。あんなにユーモアのある作品をこれまで読んだことはない。人柄もユーモアに富んでいるのだろうか。会ってみたいなあ。
 薊氏にお願いしたいことは、香港のこと、トランプ時代のロスのこと。折角いいところにおられるのだから、エッセイ風でも小説風でも書いてもらえないか。それらの街はいまどうなっているのか。自由と人権はあるのか。トランプ政治に人々はどう感じているのか、お名前を出したくなかったら、匿名でもペンネームでもいいではありませんか。それをうまく書けたら、看板記事になること請け合いだと思いますが。

桐本美智子氏へ
 「何があっても森は綠」は戦後の少女時代を懸命に、然も夢をもって美しく生き抜こうとする、強さを秘めた好論だと思います。「私たちは江戸時代のお殿様より、贅沢な暮らしをしている。」、「『綠の丘の赤い屋根~』と大声で合唱しながら」、「戦後を生き抜いたおばさんは強くて優しいのである。」。
 私は芸術祭のとき、桐本氏に面晤して「あなたは女流ダビンチですね」と言ったことがある。氏の著した「理子物語」は「私の感動した本100冊」の中に必ず入る名著であるが、そのなかの一部を拡大して一文を作ってもらえないか、それも看板記事になり得ると思う。

(お願いばかりで申し訳ございません。もちろん、無理にとは申しません)。頓首



[12] ただただ感謝!

投稿者: 山中(黒崎つぐみ) 投稿日:2020年10月18日(日)16時50分18秒 p1543229-ipngn14201hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

藤原様、植竹様、感想のお手紙を紹介していただき、ありがとうございました。加納様、過分なお言葉、恐縮です。とても励みになります。吉田様へよろしくお伝えください。このコーナーから文化の香りが…格調高い香りが…とても幸せな香りが漂ってきます。



[11] RE:言葉と優しさ

投稿者: かがわ 投稿日:2020年10月18日(日)15時40分57秒 fp76f0c727.knge218.ap.nuro.jp  通報   返信・引用   編集済

たとえば、昔の絵本の『ピノキオ』。「むこうから びっこのきつねと めくらのねこのこじきが やってきました」などの表現でしたが、「びっこ」は「あしのわるい」「めくら」は「めのわるい」の表現に変わりました。「こじき」は放送禁止用語ですね。
有名なところだと、『ちびくろさんぼ』問題もありましたし。
私も物を書く時に、こういう表現には敏感になるべきだと、いつも思っています。
だから、『たみあ』を書く時にも、かなり意識して取り組みました。決して、興味本位に書いたものではない、大切な主人公ですし、読んだ人を絶対嫌な気持ちにさせたくなかったテーマなので。(テーマによっては、あえて読者を不安にさせて終わらせますが)
植竹さんが、表現の仕方に気づいてくださったのは、すごく嬉しいです。



[10] (無題)

投稿者: かがわ 投稿日:2020年10月18日(日)15時17分29秒 fp76f0c727.knge218.ap.nuro.jp  通報   返信・引用   編集済

〔4〕〔5〕同人誌からの便り について
藤原さん。編集のやりとりをこうして読ませていただけて、ありがたく存じます。
──篠笛、拝聴できます日を楽しみにしています。(聴けるまで、しつこくねだります。いひひ)

〔6〕畏友が講評を寄せてくれました について。
植竹さん!! 吉田弘文氏にどうか謝意をお伝えください。
創刊号から丁寧に追いながら読んでくださっていること。
各作品についての懇切な感想。
私たちが書いていく上で、どんなに励みになることか!!
──感謝にたえません。(T_T)

〔7〕参加する について
加納さん。読みごたえありました。加納さんのエネルギーはいったいどこから来るのでしょうか。
植竹さんの「極私的文学散歩」について、「店頭で第4号がよく売れたとしたら、この作品に負うところが大きいのではないか」と、コメントされていましたが、、私も植竹さんに同じことを申し上げました。同感です。植竹さんの「極私的文学散歩」が魅力的だったので、続く次号の「私的……」も読者は期待してくれるはず。バトンを繋ぐ人は大変だ……と、思いましたが、「かながわ文学碑巡り」を読んで、まだまだいける! 出来れば、「文学碑巡り」の方たちの「私的……」も今後読みたいな、と勝手に期待しています。
大橋さんの紀行文も読みごたえがあって、「私的……」に執筆いただきたいです。
渡部充さんの沖縄のシリーズ。もっと多くの人に読んでいただきたいというか、もっと多くの方に読ませるべき内容。素晴らしい。

難しいことを難しく書かずに、立派な行いを自慢せず、辛いことも笑いに包む書き手を尊敬しています。ハマブンにはそんな書き手がたくさんいらっしゃる。前田さんの「富士山で散骨を」、原田さんの「ぺットの話」……ほんとうに偉い人は、偉ぶらないんだよなぁ。宮原先生の「処女作?」。「子どもたちも侵略戦争に加担させられていた」という重いメッセージを重いまま伝えるのでなく、少年時代の手紙を紹介し、一見軽いエッセイとして読ませてしまうご手腕。
──みなさん、気持ち良き手練れ。
 さて。加納さん。「エンジェル女子学園物語」。いよいよ最終回。お疲れ様でした。一話で海に向かって叫んでいた崎田も最後には美佳をゲット出来たのですね。──そこで質問です。事実は何パーセントくらいですか?
事実0パーセントの私は、興味がございます。
………………………………………………………………
最後に、今号で心にとまったページから。
120ページ「かながわ同人誌探訪」「みなせ」の欄。中段の後半部分~。
同人誌編集人を経験された方の、エッセイの引用部分。
「一般の読者を引っ張る作品がない。なぜなのだ。読者を意識して書いていないのはなぜか」


レンタル掲示板
19件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。

お知らせ · よくある質問(FAQ) · お問合せ窓口 · teacup.レンタル掲示板

© GMO Media, Inc.