「ヨコハマ文芸」感想と質問



カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


24件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[24] 山中 様

投稿者: 加納八郎 投稿日:2021年 1月 6日(水)17時22分25秒 h175-177-040-172.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用

  山中 様
 ご返事有り難うございました。アマゾンにまでリンクしていると言うこと、驚きのほかはありません。IT音痴の私などびっくり吃驚の境地です。山中さんの貢献度凄い、と言うだけでは失礼にあたりそうですね。
 二日がかりで、家族動員、私のパソコンからもアマゾンに行けるようになりました。早速いくつか注文しました。送られて来るのが楽しみです。そして、ハマブン会員の著書多数、みなさまのご活躍に敬服しています。ハマブンは素晴らしい会ですね。底ちからを見る思いです。

 さて、コロナが早く終わってくれるといいですね。寒い中ですが、私は毎日5、000歩ずつ歩くようにしています。いい年になりますようにお祈りします。     2021,1,6 加納




[23] 著作の購入方法

投稿者: 山中直美 投稿日:2021年 1月 5日(火)10時30分5秒 p2798012-ipngn18301hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

加納様 あけまして おめでとうございます。
ご質問の購入方法の件ですが、それぞれの本をクリックしていただくと、Amazonで買えるものに関してはリンクを張ってございますので、価格も内容もご覧いただけますし、ぽちっとしていただくと買えるように作ってあります。Amazonに在庫がないご本の場合はご本人のメールアドレスをお載せしています。
一斉メールに会員全員のアドレスも載っているので、ご本人に問い合わせる、ということもできると思います。
よろしくお願いします。



[22] 褒められること

投稿者: 加納八郎 投稿日:2021年 1月 4日(月)18時03分15秒 h175-177-040-172.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用

 みなさん、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

 昨暮の新聞(12,31,朝日)に瀬戸内寂聴さんの次の様な記事がありました。読まれた方もあると思いますが、再掲します。

・・・。「作家は昔の作品より、いま書いた1行をほめてほしいもの。生きているうちは、自分を燃やしていないと。小説は別の世界に行かないと書けませんから、体力がいります。そのために毎晩、好きなお肉と少しのお酒を欠かしません。・・・」

A、寂聴さんほどの人でも、「いま書いた1行をほめてほしいもの」という。
 彼女は1922年生まれで、来年満100歳とか。やはり、人はいくつになっても褒められたいものでしょうか。ほめられることによって、人は成長していく?! いつまでも人間は、子供? 微笑ましい。

B、「小説は別の世界に行かないと書けませんから、体力がいります」。
 私などまだ小説家ではありませんが、言われる意味はよく分かります。お互い体力を付けて、別の世界に行けるよう頑張りましょう。

 みなさん、今年もいい作品を創ってくださいね。早くコロナが終わりますように。

* 別件ひとつ。 ハマブンのHPには会員の著作がたくさん出ていますが、いまでも注文すれば、購入出来るものがあるのでしょうか。もし、あったら、そういう著作には、出版社と価格を併記して頂くと有り難いのですが。いかがでしょうか。
               2021,1,4  加納八郎



[21] 今日は世界最大の誕生日!

投稿者: 加納八郎 投稿日:2020年12月25日(金)12時32分22秒 h175-177-040-172.catv02.itscom.jp  通報   返信・引用

 山中様、私の提案を転記して下さって有り難うございます。
その中にある、秀作、佳作の名称を金賞、銀賞に換えても
いいかと思います。会員のみなさまのご議論をお願いします。

 今日はクリスマス、イエス様も喜んでいるでしょう。
みなさん、おめでとうございます。
 2020・12・25  加納八郎



[20] 提案  「ヨコハマ文芸」にひとつの光を!

投稿者: 加納 八郎 (管理者転記) 投稿日:2020年12月20日(日)12時58分10秒 p2798012-ipngn18301hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

コロナの憂さもあり、アメリカの大統領選でも「明確な勝利」といいながら、抵抗する人がいて、すっきりしない。自分の事で言えば第五号の原稿はまだ出来上がっていない。結論のところで苦労している。こんなフラストレーションを払拭する方法はないものか、まずは、ないけれど、一つの光を作れないか、そんな思いで、僭越ながら、思い切ってひとつ提案でもしてみようと考えた次第です。宮原先生、植竹編集長、世話人の先生方、会員のみなさん、お許し下さい。御意に召しましたら、実行方お願いします。


 「ヨコハマ文芸」に賞を設けては如何か、ということです。それによって、我々投稿者は自分の作品の評価度が分かるし、励みになり、意欲が湧く。お互いの創作活動の向上に役立つと思う。また、世間様へのアピールにもなるのではないか。以下、私の描く、素案を書いてみます。どうぞ、よろしく。

1,世話人で、賞の選定委員会を構成し、委員長と副委員長を互選する。

2,毎号の表紙絵、カット作品を含めて、文量の多寡、ジャンルの如何に関わらず評価作品とし、会員全員の投票によって、選定する。評価は作品の内容の充実度、構成の完成度、芸術性を自分なりに考慮して、一人5作品まで選び、投票する。

3,投票は会員の自名を明記した上で、投票作品の筆者名と作品名を記して、メールで、選定委員長宛てに送る。(あるいは、HPに書き込むか。)

4,それを集計して、得票数の多いものから、7点を選び、その中から、秀作と佳作を決める。秀作は0ないし3作、あとは佳作とする。秀作、佳作の別は必ずしも投票数による必要はなく、選定委員会の判断で行う。

5,表彰は賞状、および「ヨコハマ文芸」の当該誌を賞品とし、秀作には20冊、佳作には10冊を供する。

6,「ヨコハマ文芸」の発行は半年に一号なので、次号に発表では興味が半減する。当該号での発表を目指して、次のように工夫する。

 原稿の締め切りを発行の3カ月前とし、最初の2か月を従来通り、校正・校閲、編集期間に宛て、そこで出来上がった成稿をホームページに掲載して、会員に読んでもらう。残りの1カ月のうち、20日間を読解・投票期間とし、あとの10日間で、集計、選定作業を行い、その結果を当該誌の末尾に発表する。
(その辺の日程は選定委員会に一任)

7,第5号も同様に行い、発行を1月遅らせて、4月1日とする。

 抜けているところは補足していただきたい。(20,12,18 加納)




[19] ハマブンカフェで

投稿者: 植竹 投稿日:2020年10月22日(木)11時57分32秒 221x114x28x177.ap221.ftth.ucom.ne.jp  通報   返信・引用

香川さん、仰るとおりで。ここに留まっていると、本来の掲示板の趣旨から遠くなりますからね。
「文学と差別」はいつか、ハマブンカフェで話合ってみたいとお思います。



[18] 植竹さん

投稿者: かがわ 投稿日:2020年10月21日(水)17時18分26秒 fp76f0c727.knge218.ap.nuro.jp  通報   返信・引用   編集済

「人を傷つける芸術形式」じっくりと拝読しました。
「文学における差別表現」は、論じ始めたらきりがない。けれど、文章を書く人は、心してきちんと向き合わねばならない、逃げてはいけない問題です。

この掲示板『「ヨコハマ文芸」感想と質問』で差別問題で、ずいぶんと引っ張ってしまったので、続きは「よもやま話」へ移行するか、また機会を設けて話す感じでしょうか。
(コロナ禍じゃなかったら、それこそみんなでどっかで飲みながら、こういう話題で話したいですね)

『「ヨコハマ文芸」感想と質問』への投書をためらっていらっしゃる方、どうぞ感想や質問の書き込みを続けてください。_〆(゚▽゚*) お邪魔しました。



[17] 文学における差別表現

投稿者: 植竹 投稿日:2020年10月20日(火)20時10分0秒 221x114x28x177.ap221.ftth.ucom.ne.jp  通報   返信・引用

香川さんが以前から文学における差別表現に強い関心を持っておられたことに感激しました。私は新聞社に入社して最初の勤務地が徳島、次いで神戸と、いずれも被差別部落が多い地区だったので、部落差別についてはいつも緊張感をもっていました。
数年前、前に所属していた文芸団体の会報にこんな文書を載せたことがあります。文書を添付するにはどうしたらいいか分からないので、ご参考までに下に貼り付けます。
================================================
 人を傷つける芸術形式
                          植竹伸太郎

「銀行の中では階級制度が幅を利かせていた。士農工商に喩えるなら、東大、一橋、慶応卒の男性が士、その他の大学卒の男性が農、大卒で総合職を選んだ女性が工、その他の行員は商。私たちパートは穢多非人である」
 私は、講師をしているエッセイ教室でこの文章を読んだとき、思わずのけぞってしまった。筆者は都内に住む六〇歳代の主婦で、四〇代初めころに銀行でパートとして働いたときの体験を書いていた。
 言うまでもなく「穢多非人」というのは中世初めごろから、賤業に就いている人々を指す呼称になり、江戸時代になると身分制度の最下層に置かれ、住む地域も限定された。明治になって法律上は平等になりこの呼称もなくなったが、代々特定の地域に住む人々として特殊視され、今日でも就職や結婚で陰湿な差別が続いている。それだけに、現に差別され、あるいは差別に脅えて暮らしている人々が、死語となったはずのこの言葉を聞くと身がすくむ思いがするだろうことは、容易に想像できる。
 筒井康隆は例の「断筆宣言」に絡んで、「かつて士農工商犬SF作家と表現して部落解放同盟に糾弾された」と発言、日本文壇の中でSF作家は差別されていると自虐的に言ったまでで、部落差別を揶揄するつもりはなかったと釈明した。先の主婦は都心の生まれ育ちで、一般的に関東は部落差別の意識が低いと言われるから、この言葉の残酷さには思い及ばなかったのかもしれない。だが筒井は大阪の生まれ育ちで、子どものころから常に「部落」を意識してきたはずである。そんな釈明が通ったのだろうか。
 筒井が一九九三年に断筆宣言をしたのは、角川書店発行の高校教科書に収録された『無人警察』の中で、てんかん患者は交通事故を起こすかもしれない危険な存在とし、日本てんかん協会から抗議を受けたのがきっかけだった。彼は「小説は、作家がそれをひとつ書くたびに必ず誰かを傷つけているという芸術形式だ」と言い放ったが、私は単に、この教科書を読んだてんかん患者の高校生が、いつもロボット警官に脳波を計測されているのかと不安に思ったり、彼が教室でいじめに遭ったりするかもしれないなどとは、想像すらしなかっただけではないかと思う。
 だがこの事件に比べれば、昨年末に起きた「週刊朝日」による橋下徹大阪市長キャンペーン事件は、まったく質の違うものだった。同誌は佐野眞一のルポという形で橋下氏が被差別部落出身であることを暴き、氏が責任を負いようがない出自を元に人格や政治手法を攻撃した。そうすることによって氏や氏の家族を傷つけ、さらには全国の橋下姓の人や被差別部落出身の人々への偏見をあおることになった。
 テレビで橋下氏の激しい反発を知って私は同誌を求めに近所の書店とコンビニに走ったが、すべて売り切れていた。通販で買おうと思ったが、プレミアが付いて一冊五千円近くになっていた。横浜中央図書館に足を運ぶと、すでに二十数人が貸し出しを待っていて、とうぶん戻ってこないと言われた。私はまさに同誌の思惑が的中したことを知った。そして、かつて臼井吉見が『事故のてんまつ』を書いたときのことを思いだした。
  これはノーベル賞作家川端康成が一九七二年に逗子の仕事場で自殺した背景を描いたモデル小説で、川端の死の五年後に筑摩書房の雑誌「展望」に発表された。川端がお手伝いの若い女性に異常に執着したのが自殺の原因としただけでもスキャンダラスだったが、彼が執着したのは彼女が被差別部落出身で彼もそうであったから、と匂わす記述があったため、文壇だけでなくマスコミも巻き込む大騒動になった。
 お陰で「展望」は通常四万部発行のところを二万部増刷し、川端家の抗議を受けて問題箇所を削って出版した単行本もベストセラーになった。ただしこちらは、川端家と和解する条件で絶版になったが。
 私が「週刊朝日」と『事故のてんまつ』を同質と思うのは、ともに人間の低劣な覗き趣味を利用して売り上げを伸ばそうとする卑しさを感じたからである。これはモデル小説やノンフィクションが常に向き合う課題ではあるが、この二作の特徴はそこにとどまらず、多くの日本人が心の奥底に抱いている被差別部落への偏見を巧みに利用した点である。橋下氏については「週刊朝日」発行の一年前に「週刊新潮」「週刊文春」などが同様のキャンペーンをし、氏の出自は広く話題になっていた。また、川端が被差別部落に繋がっているらしいという噂も、文壇やマスコミの間で以前から根強くあった。
 筒井は「小説は」と言ったが、小説に限らずものを書くことは、人を傷つけることから免れられない営為である。だからだろうか、少なからぬ文学者やジャーナリストが表現の自由を盾に筒井や臼井を擁護した。だが、彼らは何か勘違いしているのではないか。表現の自由とは権力から守るべき自由であって、社会の片隅で差別に脅えながら生きている人々を傷つける自由など、だれにもありはしない。
 ものを書く以上われわれは常に、自分の筆が人を傷つけるかもしれないという懼れを抱いていたい。



[16] 差別語の問題

投稿者: かがわ 投稿日:2020年10月20日(火)13時23分39秒 fp76f0c727.knge218.ap.nuro.jp  通報   返信・引用   編集済

宮原先生の、柳美里さんの裁判問題コメントに、「ああ! そうだった、そうだった!!」と、唸りました。なるほど登場人物が「差別意識を持つ人物なら、会話に差別的な言葉を使わないと、その人間を描写出来ず、差別的でない人間として描かれてしまう事に」なってしまう……。
登場人物によっては……なのですよね。会話表現問題、恐るべし。
これは、小説で差別を扱う時の大問題でした。うーーーん。
柳美里さんの『石に泳ぐ魚』の場合は、モデルが誰だかはっきりしていたので、その人が訴えたわけで、モデルにきちんと了解というかすり合わせを得てから書く、モデルがいてもいなくても、いわゆる「ことわり書き」を入れるしか小説では出来ないですよね。エッセイの場合で、書き手の言葉しとして書くのはNGですが。
先生も『誰かが触った』や「戯曲・あなたの思い出」などを執筆されるにあたって、かなりご苦労されたのではないでしょうか。 加納さん、植竹さんをきっかけに始まったこの問題を、いつか会員で話し合ってみることも(もちろん答えはでませんが)大切だと思いました。


追伸 息子さん、幼少時の「これって、お父さんの話に出てくるよね」には、笑いました。



[15] 体験と会話

投稿者: 宮原昭夫 投稿日:2020年10月20日(火)04時33分4秒 27-141-25-95.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用

加納さま、ありがとうございます。いつも「また戦中の話かよ」と呟かれているような虞を感じていますので、ほっといたします。でも戦中の話はむずかしい。息子が幼い頃、よく戦争中の話を聞かせていましたが、或るとき、テレビで関ヶ原の戦のシーンが出た来たら、息子が・「これって、お父さんの話に出てくるよね」と言ったので、ぎゃふんとして、それ以来、戦時中の話をする勇気が萎えました。体験のない世代にとっては、昭和の戦争と戦国時代のそれとは似たようなものなのではないでしょうか。

差別語の問題も、自分が「健常者の奢り」を抱いていないか、心すべきだと今更ながら反省しました。「地の文」では、作者は自分に差別意識がないかどうか充分自己検証を重ねる必要がありますね。
しかし、困っていることはあります。それは「会話」の問題です。会話とは話している人物の心理描写でもあるので、その人が座別意識を持つ人物なら、会話に差別的な言葉を使わないと、その人間を描写出来ず、座別的でない人間として描かれてしまう事になります。
柳美里の「壁に泳ぐ魚」の裁判で、作中の人物の会話の中の身障者差別的な言葉が、名誉毀損として最高裁判所で有罪になった時は、本当に困りました。それ以来、会話の中でその人物の心理が描写出来なくなってしまったからです。


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